彼氏と結婚したい女性がようやく結婚した体験談

51歳 会社員 恋愛結婚

50代、会社員&主婦です。

私の結婚に関してですが、とにかく私の父親の反対にあい大変苦労しました。

結婚したのが夫40歳、私37歳とかなり晩婚です。もうとっくに大人の年齢ですので、親も反対はしないと思っていたのですが。。。

夫はバツイチで、子供あり。ただ子供とも、元奥さんともいっさいの連絡は取っていないとのことでした。離婚したのも、夫が27歳の時だったので、10年以上前の事でした。

元奥さんから養育費は拒否され、、、の状態だったのです。よほどひどい関係で離婚したのでしょうか?

よほど元奥さんは夫との関係をいっさい断ちたかったという事でしょうか?

私は夫にそのことを聞いたことはありません。聞いてもねぇ。。。

私の父は、とにかくこのバツイチ、養育費も払っていないと言いうことに激怒していたのです。
父の言い分は≪養育費も払わないような無責任な男と結婚しても、幸せになれるはずがない≫という事でした。

私としては、自分の年齢のこともあり、父に反対されても別に気にせず結婚してしまおうと思っていました。

ところが、母親、兄にまで、何とか父親を納得させてからと言われ、私の結婚に待ったをかけられました。

さすがに、母に何度も泣かれては、私の意志も揺らぎました。父は昭和の頑固おやじそのもの。正直、面倒くさい相手でした。

父の説得方法は、やはり長年連れ添った母が頼み。何度も何度も夫を家に呼び、食事を共にすることで、少しずつ、本当に少しずつ、父の態度も変わっていきました。

その期間、、、約2年ほどでしたねぇ。

父も夫も喫煙者でしたが、強いて言えば、二人の共通の楽しみが≪たばこ≫。体に悪いからとタバコを吸わせまいとする母、こっそりタバコを差し出す夫。今考えれば、高校生か!!と突っ込みたくなりますが。。。

最終的に昭和の頑固おやじも母には弱かったので、母が大活躍をしてくれたのは間違いありません。

そして兄の力添えも大きかったですねぇ。兄嫁もずいぶんと貢献してくれました。周りの人たちが頑張ってくれたおかげで父も何とか納得し、無事に結婚し現在に至っています。

今は亡き父に言いたいですねぇ。≪あなたからは根気というものを一番教わりました≫と。ははは。。。
長~い説得期間、面倒くさ~いと思っていたあの頃。今では楽しい思い出に変わっています。

20歳で農家の男性と、知人の紹介で結婚した。

私は育つ環境の中で、全然裕福とはかけ離れた、いわゆる貧乏の世界で育ってきました。欲しいものを買えたことはなく、いつも洋服もお下がりばかり。新しいおもちゃや服を買ってと両親に頼んでも絶対に買ってはもらえませんでした。

お菓子やフルーツなども食べたことはありませんでした。家に義務教育である、小学校、中学校には通いましたが、高校からは通わせてもらえず、ただアルバイトだけを頑張りました。20歳を目前にした時、そろそろ結婚も考えてはみないかという、周囲からの話の持ちかけで、お見合いをすることになりました。

私のお見合い相手は、農家の20歳も年上の男性でした。私は今の生活に嫌気がさしていたので、結婚をし、新しい生活を始められる、今の家を出られることに、とても良い感情を抱いていました。

結婚をするということに対して、とても憧れを持っていたので、お見合いをしたその日に結婚を決めました。

すぐに結婚生活を始め、それと同時に家業であるきゅうり農家も手伝うことになりました。仕事などはとてもやりがいがあると感じていたのですが、その結婚男性が、全然思いやりもなく、ただ私をこき使うかんじて接してきていたので、それが嫌だと感じ始めました。

次第に同居していた義両親も、私をまるでお手伝いさんのように扱い始め、さらにはとても狭い部屋での生活を提案してきたのです。

とても惨めな気持ちでいっぱいだったし、最悪でした。しかも子供に全然恵まれなくて、義両親からは、後継が欲しい。出来ないなら、第二の嫁をもらう。

などと言われ、ストレスいっぱいになりました。実家にも帰れず、毎日泣くことしかできませんでした。

今ではその相手との離婚が成立しましたが、まだ心の中ではその時の思い出はかき消されずにいます。

農家の方との結婚がこのようなことばかりとは絶対に言い切れませんが、結婚というものは、やはり自分に合った人や、価値観の合う人などとするべきだと感じました。

私のような体験を誰にもして欲しくありません。

38歳 SE 社内恋愛で先輩と結婚しました

SEとして正社員で勤務していました。主にデーターベースの構築作業など行っており、かなり残業も多い仕事でしたが、やりがいを感じる業務を行っていたので、楽しくしっかりと働いていました。

同じ会社で部署は違うSE業務の先輩と付き合っていたので、結婚を意識するようになっていたので、付き合って4年目に結婚しました。

仕事はお互い継続し、そして忙しさも持続していたので、残業が多くてハードな業務がとても多いので日々ストレスを感じるようになっていました。

結婚してからは、家事の分担など行っていましたが、なかなか夕飯を作るのも帰る時間帯がお互い違うし、残業後に夕飯作りをするのはストレスを感じていたので、喧嘩をすることが多くなり、なかなか上手に業務を分担することができず困っていました。

SE同士だと、お互い仕事が忙しいので、平日は一緒にゆっくりとリラックスした気持ちが過ごすことができず、私の方が帰宅時間が遅くなることが多いので、彼の方もイライラすることが自然と増えてきて、口喧嘩をする機会が次第に増えてきました。

残業が少ない業務に部署を移動することは無理なので、やはり今もままデーターベース系の業務を継続するしかないですし、けっこう日常的にストレスを感じることが増えていたので、心身ともに結婚してから疲れきるようになりました。

一人暮らしをしていた頃は、自分のペースで好きなように仕事をすることができましたが、結婚後は相手のペースにも合わせないといけなし、仕事が忙しいとどうしても家事の分担も上手にできずにお互いイライラすることが増えるので、常にストレスを感じるようになっていました。

SEは仕事が忙しいので結婚した後は、家事をする時間がないのでその辺を相手にも理解してもらわないといけないので、しっかりと話し合ってから結婚すべきだと感じています。

SE同士で結婚した場合、やはりお互いの立場を理解してから納得できる結婚生活を送ることが重要です。

30代イベント企画10年かかって結婚

30代前半の東京住みの女です。新卒からイベント系の会社につとめて、現在も続けています。
大学卒業時から同居をしている恋人といつまでも結婚できず、10年近く待たされ、ようやく結婚をしました。

私が結婚をしたいと思ったタイミングは何度かあります。そのたびに、彼にも伝えていましたが、彼の答えはいつも「いつかね」でした。

一回目は大学卒業時。既に付き合って数年立っていたため、この機会に結婚したいと強く思っていました。

当時、まだ今のように名字についても寛容な社会ではなかったので、自分の名前を変えるなら、キャリアを積み重ね始める前に結婚して名前を変えたいと思ったことを覚えています。

しかし、そういったことが彼にも伝わってしまったのか「いつかね」で済まされてしましました。

二回目に結婚したいと思ったのは、彼の単身赴任が決定したときです。私も東京で仕事があり、彼も寮生活のような暮らしになるため、東京に二人の家はありつつ、彼は年の内10ヶ月以上家にいない、離れて暮らすが同居はしているという生活になりました。

当時、未だ25歳前後の私は離れて暮らすことが耐えられず、できれば「結婚」という事実をもってそのような暮らしをしていきたいを思い、指輪も買って彼にプロポーズしました。

しかし、そのときも「いつかね」で済まされてしまい、このときばかりはたくさん泣きました。

30歳が近づいてくるに連れ、このまま結婚できないのではないか、しかも彼は近くにいないという状況に本格的に不安を覚えるようになりました。

彼の仕事的に浮気をできるような環境でもなかったので、その点は心配していませんでしたが、一向に結婚について「いつかね」以上考えてくれている様子がありません。

30歳になったときについに、「結婚してくれないなら別れる。もうこれ以上耐えられない」と率直な気持ちを伝えました。今まで溜まっていたこともたくさんあったので、このときはたくさん泣いてしまいました。

その後、いくつか話し合いは合ったものの、最終的にゴールイン。自分の長い念願を叶えるために結婚してしまったようなところもありますが、今の生活には満足しています。(彼は相変わらず単身赴任状態ですが…)

相手が結婚にいつまでたっても本気にならなくても、自分の気持ちをつないで、率直に伝えるタイミングを見つけることが大事だったなと思います。

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